捨てることは、より大切なもの、より大好きな自分を得る為の大事な初めの一歩である。
人は生活において他者と関わることは必要不可欠で、それは自分自身が人から生まれた存在だということ考えれば、そうならざるを得ないことは明らかである。
自然の世界も同様で、森に生えた無数の木々も芽を生やし、太陽に向かってようようと背を伸ばしていくなかで、人間の社会と同様に小さな問題が多々起こる。
隣同士の木の枝が風にあおられてぶつかり合い、弱いものや無駄なものは自然と落とされ、それぞれの形を確立させていく。
それが成長というものであり、多少の痛みに耐えることも同時に強いられる。
それに耐えられなければ、成長を続けていくことが出来ないということが、やはり自然の摂理というものなのであろう。
そんななか、人はいろいろな思い出を抱えながら生きていく。
もちろん悪いことではない。それが人間の一番良いところでもあると思う。
しかしその思い出や思い出の品は、人の無意識に時々悪さをするのである。
今の現実を見ようとすると、思い出が美化されているため、本当の今を見ているつもりでも、そうではないことがある。
原因は簡単である。人の脳の働きのせいである。
人は大切なものを守ろうとする。
本当に大切なものなら良いが、大切だと思い込んでいるものまでも同様にである。
そして痛い思いだってしたくはない。すべては本能である。
しかし本能を理性が超えたある時、気づいたことがある。
その大切だと思い込んでいたものは、今後の自分に必ずしも役に立つものではないということ。
そればかりか、今の自分を押さえつけ、駄目にしてしまうことがあることを。
思い出の品も同様に、今の家に存在し、たまに懐かしく思う自分がいる。
しかしその反面には、家の大切な場所を奪い、新しいものを受け入れることを、無意識の中で拒むのである。
そんなはずはないと思っていた。こんな小さなものだし、例えば一枚の紙きれだし。
しかし、そうではなかった。
時々思い出すあの頃のことや、明日やろうと思っていたことは、意外と今の自分を無意識に縛っているものであるといことを知ったのである。
大切だったものを捨てよう。もう役に立たない大切だと思い込んでいたものを。
それらを見極め、処分することは、思っているより今の自分を成長させてくれる。
人間が生まれるはるか前に地球は誕生し、地球が生まれる前から宇宙が存在するのならば、人間が生きていくために必要なものは全て、地球に存在するのである。
しかし、脳のいたずらである欲を満たすものまでは、本来地球には存在しないのである。
東洋的な考え方であるが、そういう意味でもっと宇宙を信頼しても良いのではないかと思う。
何千年も前から親は子供を産み、それは偶然ではないということ。
必要な時に必要なものは用意されているということ。
その時に、そのことが起きたことに、意味が在るということ。
脳で考えるよりも、体が感じることのほうが、シンプルで正直だということ。
そのためにはきちんと体で感じ、気づく感覚を磨き、身に付けること。
立ち止まってみたり、振り返ってみたり、深呼吸してみたり、手を叩いてみたり、瞑想してみたり、予想してみたり。
こんなことを言わなくったってわかっている人もいっぱいいる。あの人みたいにね。
木はシンプル。脳がないからね。枝が出る。ぶつかるから無くなる。たぶんそれは生きていくのに最適な形。
人は複雑。脳があるからね。思い出があるし、痛い思いもしたくないし、守ろうとする。
でも脳の良い部分、悪い部分を見極めて、これからの自分を創ること。
より良い終わり方をすることが、何より大切。そして、百年後、千年後の方がもっと大切だということ。
いつくるかわからないその日のために、今、気づいてみてはいかがでしょうか。
まずは宇宙に感謝することから。
みんなが俺にそう教えてくれた。